NO41~50

No50 中村茜

NO41~50

No50 中村茜

1オーディション企画書

タイトル

乳がんになった未亡人

サブタイトル

笑顔で乗り切る乳がん治療

著者略歴

乳がん、ヘアロス、死別など、グリーフ分野のピアカウンセラーの中村茜です。

20代、30代は社会保険労務士として勤務。
ワンオペ育児と仕事の両立していく中、妹の乳がん発覚後、実家に子育てを頼ることもできなくなり、突発性の精神病を発症し、鬱病も発症。
鬱病と向き合いながら社労士を続けていた頃、30代の時、不慮の事故で配偶者と死別。
祖父母の介護も必要となり、社労士を辞め、ボランティアや介護を経験。
人生の転機でもあるジャザサイズに出会う。
その後、死別の当事者との出会いでグリーフを知る。
グリーフケアアドバイザー、チャイルドカウンセラーなどを学び、地域のボランティアにも約6年活かす。

その後、2022年43歳の時、定期検診で乳がんステージ3Aの告知を受ける。
乳がん発覚後、乳がんを治療しながら趣味のジャザサイズを継続し、病は気からという言葉とともに、アドラー流メンタルトレーナーとなる。

配信ライバーとしてもリスナーさん方に寄り添い、ピアカウンセラーとしても活動。
ヘアロスの団体NPO法人ASPJのボランティアにも参加。
乳がんになったことで経験した体調の変化、見た目の変化をきっかけにがんに関してのプロジェクトも遂行中。

何のための本か?

乳がんを告知され、不安で気持ちが落ち込んでいる女性が笑顔で治療を乗り切るための本

企画意図・趣旨

夫を亡くした未亡人の私が乳がん治療を笑顔で乗り切り周りに勇気や希望を与えるノンフィクションストーリー

乳がんは、2012年頃には14~15人に1人の罹患率でしたが、2023年には9人に1人の割合へ推移をしています。
それに伴い、乳がんに関しての書籍やSNSでの情報収集をする方が多数存在します。

がん検診を他人事にせず、自分の身体の違和感を見逃さないで欲しい。
その為に、乳がんの告知を受け、治療をするということがどういうことなのかを知ってほしい。

もし、乳がんになってしまったとしても、どういう生き方があるかの自己啓発本としても有効。

書きたい内容を一部記載します。

第1章 未亡人に乳がんの告知

妹は33歳で乳がん、配偶者と30代で死別した私、毎年受けていた乳がん健診で乳がんの告知を受けました。

乳がん経験者でもある妹は看護師、義理の弟は医師でもあり、治療のことは専門家に任せることにした為、医者への唯一の質問は、ジャザサイズ(ダンスフィットネス)を続けてもいいでしょうか?でした。

夫も失い、乳がんも告知され、周りから言われた言葉の中に「あなたばっかり、なんで、、、」と、いう言葉がありました。

私は、悲劇のヒロインではなく、経験をバネにして周りの人の為に活かせる人。
だから、経験の為に人生の課題がやってくるだけだと思っています。

第2章 満月の夜、ステージ3を知る

自覚症状がないままの告知だった為、主治医もステージ1ぐらいじゃないかと主治医も思っていた乳がんは、PETCTなどの検査結果によるとステージ3A。

乳がんになったことを、周りに話をするかしないかの選択について。
私は、周りに言わずには治療が出来ないと判断し、ステージ3を友人に伝えました。

私の乳がんを心配して泣く友達に、皆既月食を見て過ごしながら、「周りを支えてきた私を、次はみんなが支えてね。」と、月夜に抱き合った夜は忘れられない夜になりました。

第3章 生きがい

夫と死別した30代、社会保険労務士として仕事も家事もオーバーワークで自分の気持ちを優先せず、周りを優先してきた結果、幻覚が見える突発性の精神病を発症。

うつ病にもなり、祖父母の介護も始まったことで、社労士を辞めることを決断。
死別して半年後から始めた趣味のジャザサイズが、私の笑顔を取り戻すきっかけでした。

主治医への理解とジャザサイズを続けることが私にとっての支えでもあり、乳がん経験者でもありながらジャザサイズを続けている方とのご縁を繋いでいただいたことで、私にとって当事者同士の支えもできました。
第4章 病は気から

治療や抗がん剤をどう乗り切るか。
主治医から告知を受けた日に言われた言葉は、「病は気から」。

乳がんの告知を受けて、アドラー流メンタルトレーナーを学び、自己肯定感を維持しながらの治療を進める方法を手に入れました。
身体の声を聞きながら、楽しみを事前に計画することでの治療を進め、目的と目標を明確化した治療をスタート。

抗がん剤をしても二日後にはレッスンに行けるメンタルの強さの秘訣について。

第5章 ヘアロスと私

抗がん剤治療をスタートし、一番辛かったことは抗がん剤の副作用で髪の毛が抜けるというヘアロスを経験したこと。

ジャザサイズを楽しんで帰ってからのシャワー。
髪の毛はシャワーとともに指の間を通り抜け、涙を流した日もありました。

髪がなくなっても可愛くありたいという女心をどうクリアするか?
ウィッグ生活をどう楽しむか。

ヘアロスのNPO法人ASPJとの出会いにより、ボランティアスタッフとしても参加。
ウィッグやヘアロスの過ごし方、オンライン交流会のファシリテーターとしても当事者でもありながら心のサポーターとして携わっています。

第6章 乳がんと家族

夫と死別した私には小学生と中学生の息子がおり、死別を経験した時にうつ病から目が覚めたのは子どもの存在も大きかった。
私が育てなくてはならない!そう誓った死別から、次は自分の命を脅かす乳がんの告知を受けました。
悩んでいる暇などはない、どう生きるか、夫を失ってから毎日の心残りを残さず過ごしており、子どもたちへ気持ちを伝え、抱きしめ、愛を伝えていました。

乳がんじゃなかったとしても明日という日は誰にも平等には訪れないのだから。

それでも、抗がん剤治療の副作用で、吐き気で動けない夜、息子に水を持ってきてもらうほど動けない夜もあり、家で頼れる人は息子達だけでした。

第7章 全摘手術と同時再建術
腹部からの同時再建は、覚悟が必要よと入院中に聞いた私。
生きるって辛いと思った入院期間も、命を最後まで命を諦めなかった父親の最後の置き手紙、「わしは死なん」が頭を横切りました。

第8章 リハビリ
また腕を天井に伸ばせる日を目標に、リハビリの為にジャザサイズへ。
当たり前に手を伸ばすことができた日から、術後に腕が上がらなくなって、リハビリレッスン後に日に日に可動域が戻り、天井の光を感じた手を見た時の気持ちは忘れることがないでしょう。

また、重たいものを持ってはいけないのに、シングルマザーで買い物も必須。
元気そうに見えることが乳がん患者に見られず、逆に人に頼ることの難しさを感じました。

第9章 息子の卒業式に金髪のママ

髪の毛がまた生えてきたら金髪にしてみようと思ったのもお母さんが金髪なのは嫌だと言っていた息子達が地毛を金髪にしてもいいよと言ってくれたのもウィッグで金髪に挑戦した結果でした。

アピアランスケア対応の美容院との出会いがあり、人生初の地毛がベリーショートの金髪を経験しました。

がんにならなかったら金髪にすることはなかったと思う。
金髪からピンクやブルーグレーなど、TPOが必要な場所へ逆に暗い色のウィッグで行くという逆のパターンを経験しました。

息子や先生方にも私の乳がんの治療経過を理解してもらい、息子の卒業式に金髪で参列、乳がんでもかっこいいお母さんになった私。

第10章 夢が出来た乳がんライバー

乳がんになってやりたいことが出来た私。
未亡人で乳がんでもどうしてそんなに笑顔でイキイキしているの?と不思議がられる日々。
配信アプリのライバーのスカウトを受け、術後の放射線治療をしながらスタート。

乳がんの方、乳がんの家族の方、髪に症状がある方、うつ傾向にある方にも寄り添いながら、私の夢を応援してくれるリスナーさん方との時間は、私のアウトプットの時間でもあり、リスナーさん達は私の良き相談相手。

第11章 まとめ
当事者の繋がり、SNSやリアルな人との繋がり、ご近所、たくさんの応援があってがん治療を乗り越えることとなりました。

グリーフという死別だけではなく、がんで身体の健康を失い、心の健康も失いがちな乳がん治療の精神的安心感を持つ為のアドバイスを最後にメッセージとしてお伝えしたいと思います。

そして、乳がんになって出来た夢達を叶える為にまず一番に本を出すという夢を叶えたくて、乳がん治療をしながら出版オーディションに挑戦するという私の生き方から元気をもらって欲しい。

読者層

40代乳がん告知を受けた今から治療をスタートする女性

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類似書との相違点

ノンフィクションでありながら実用書や自己啓発本にもなり得る内容であること。

この本が売れるためにご自身ができること

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